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2007年11月17日

生きていてくれ…川淵氏涙の祈り


 ショックの大きさに耐えきれず、最後は声にならなかった。充血し、潤んだ目からは今にも涙がこぼれ落ちそうだった。予定より20分遅れた午後4時50分。日本協会の川淵キャプテンが緊急記者会見を行い、オシム監督が急性脳梗塞(こうそく)で倒れた事実が明かされた。 (スポーツニッポン)


 「サッカー界にとってショックな出来事。今は代表チームがどうこうよりも、まずはオシム監督に治ってほしい」

 ここまで話した後、絶句した。こみ上げる悲しみを必死でのみ込み、絞り出した最後の一言は震えていた。

 「命を取り留めてほしい。かなり厳しい状況と聞いています」

 会見後の行動は素早かった。自身のかかりつけ医院に立ち寄ると、オシム監督の入院先に急行した。集中治療室で治療中の指揮官と会えるはずもないが、約20分間見舞い、付き添うアシマ夫人を励ましたという。とてもじっとしていられる心境ではなかった。

 来年7月、定年退職を迎える川淵キャプテンにとってオシム監督は「最後の代表監督」だった。だからこそ信頼も期待も大きい。今年7月のアジア杯では、しゃく熱の東南アジアで戦い抜いた指揮官について「オシム監督の体が大丈夫と分かってホッとした」と、いの一番に体を気遣った。「あの暑さの中で指揮を執ってくれた。10年W杯まで大丈夫だろう」。来年2月に始まるW杯アジア3次予選に大いなる期待を抱いた矢先だっただけにショックも大きかった。

 まだ就任前のW杯ドイツ大会中の06年7月。川淵キャプテンは帰国会見の中で極秘にしていた次期監督について「オシム」の名を漏らす“ポロリ事件”を起こした。オシム監督への期待の大きさが口を滑らせたが、その後はオシム監督との家族ぐるみの親交がスタート。互いに夫人を伴い、食事を楽しんだこともある。成績が振るわなくとも世論から逆風が吹こうとも、全面支持の姿勢は一貫していた。

 まだ強化委員長を務めていた80年、川淵キャプテンは当時の渡辺正日本代表監督が脳卒中で倒れ、自ら後任監督に就いたこともある。またも直面した“悲劇”に「皆さんの関心事(後任監督)もあると思うが、まずは治ってほしい」と話し、後任問題は封印。キャプテンとしてではなく、川淵三郎個人としてただただ回復を願っていた。
posted by ます at 18:31| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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